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2014年1〜3月の活動報告
を掲載しました。

4月の予定
4月6日  ミンウーさんのための法要・月例会議
4月13日 ビルマ水掛け祭りに出店(日比谷公園)

2009年3月30日月曜日

現場を究める(1) 増える難民不認定者 朝日新聞茨城版

「現場を究める(1) 増える難民不認定者」というタイトルで、3月30日朝日新聞茨城県版朝刊にてビルマ難民の現状が取り上げられました。本会会長も登場いたします。記事にしてくださった鈴木記者、ありがとうございました。

以下は朝日新聞のウェブよりコピーしたものです(オリジナルはこちらをご覧ください)。 

現場を究める(1) 増える難民不認定者

東京都文京区にある総合病院の一室。20日午後、日本人患者3人と一緒の相部屋に、1人のミャンマー(ビルマ)人を見舞った。3カ月前まで、牛久市にある入国管理局の収容所にいたアウン・ミン・ウーさん(37)だ。

写真

仲間が病に倒れ、静かに夕食をとるミャンマー人ら=東京都文京区

仲間のミャンマー人の顔を見ると、力のない様子でベッドから起きあがった。「もう、大丈夫。ありがとうございます」。目を潤ませた。


2日前の夜、文京区のマンションで大量に血を吐いた。不法就労でも雇ってくれる飲食店が見つかり、喜んで帰宅した直後だった。

 「病院に行こう」

 「お金ない。救急車は呼ばないで」

表情をゆがめて倒れ込んだ。胃にたまっていたドス黒い血が、床に深いシミをつくった。同居する仲間に抱えられ、タクシーで病院に駆け込んだ。吐血は7回 に及び、救急措置で命をつなぎとめた。「あと少し遅ければ危なかった」。医師から十二指腸潰瘍(かい・よう)と告げられた。

その夜、都内にあるアウン・ミンさんら4人の住まいを訪ねた。

6畳のワンルームマンションでの共同生活。全員が難民認定されず、収容施設から仮放免された不法滞在の身だ。

居間を3人分のベッドが占拠する。残る1人はキッチンが寝床だ。8万5千円の家賃や食費、光熱費は不法就労中の仲間が負担する。家事は仕事が見つからな いアウン・ミンさんの役目だった。同居するゾー・ミン・ウーさん(34)は、居酒屋で不法就労する「一家の大黒柱」だ。医学生だったキン・マン・ウーさん (46)は、みんなの健康管理と部屋の掃除を担当する。

 「(無保険で)病院、行けない。難民はダメ。ビルマ、帰れない。どうすればいい、教えてよ」。温厚な表情のゾー・ミンさんが、悔しそうに言った言葉が胸に響いた。

    ◇

アウン・ミンさんが来日したのは15年も前だ。当時は23歳。他の仲間と同様に、90日の観光ビザで入国し、期限が切れても日本にとどまった。

最初のアルバイトは、日本語ができなくても支障のないホテルの清掃だった。言葉が分かるようになると、時給が高い居酒屋で調理を担当した。ミャンマーや中国、フィリピン人……。調理室の中は「不法滞在天国」だった。

ミャンマーでは、アウン・サン・スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)の政治家と民主化運動に携わった。一緒に運動をする政治家や友人が、次々と軍に 拘束されていった。「このままだと拷問されるよ。とにかく逃げなさい」。両親が日本円で200万円相当の金をかき集め、パスポートを入手してくれた。そこ には、日本の観光ビザが押されていた。

昨年春、東京・上野で警察から職務質問を受け逮捕され、入国管理局「牛久収容所・東日本入国管理センター」へと送られた。

不法滞在者の収容所は日本に3カ所ある。成田空港に近い牛久には、東日本の不法滞在者ら458人(2月末現在)が集められている。

難民申請が不認定になれば、特別の理由がない限り強制送還の手続きがとられる。しかし、政情不安が続くミャンマー人の場合、一定期間の収容後に仮放免で社会復帰している。入国管理局は「政情不安が収まれば、強制送還を再開する。仮放免は一時的な措置」と説明する。

アウン・ミンさんも8カ月の収容生活の後、昨年12月に仮放免された。仮放免中は入管の要請に応じて、月に1度出頭すればいい。だが、就業資格は得られず、国民健康保険には加入できない。

NPO法人「難民支援協会」の石川えり事務局長に聞くと「仮放免を長期間続けるのは人道上も問題が多い。ミャンマー人を強制送還しないなら、何らかの在留資格を与え、最低限の生活を保障すべきだ」と語った。

     ◇

08年の難民申請者は過去最高の1599人で、うち979人がミャンマー国籍だった。一方、同年に難民認定を受けたのはわずか57人だ。

政府は早ければ10年度にも、ミャンマーなどの紛争国から逃れ、周辺の難民キャンプで暮らす難民を受け入れる「第三国定住」を始める方針だ。しかし、すでに日本にいながら難民申請が不認定となった人への支援は、ほとんど手付かずだ。

増え続けるミャンマー人の難民申請者——。多くは祖国へ帰ることもできず、不法滞在や不法就労を続けながら、社会の片隅でひっそりと生きている。「難民鎖国・ニッポン」の現実が、収容所から見え隠れする。(鈴木逸弘)

難民支援組織「在日ビルマ難民たすけあいの会」会長で、取手市に住む大瀧妙子さん(62)は、牛久収容所を週3回ほど訪れ る。難民申請中のミャンマー人収容者が仮放免になるよう、保証人や保証金の面でサポートする。大瀧さんは「難民として認められず、収容所生活も長引くと、 精神的に追いつめられるビルマ人も多い。話し相手になるだけでも」と話す。

難民申請者に対する公的な生活支援は手薄だ。

外務省は所管法人「アジア福祉教育財団難民事業本部」(RHQ)を通じて、不法就労などをしていない難民申請者に原則4カ月、「生活援助金」を支給をしている。単身者の場合、月に住宅費4万円、生活費4万5千円(1日当たり1500円)が与えられる。

昨年夏以降、不況の影響で収入の道が断たれる難民申請者が増え、援助希望者が殺到している。受給者は2月時点で256人と、年度当初の約2倍に迫る。予算は昨年末に底をつき、現在は広報や調査費などから流用している。

医療費はさらに深刻だ。国民健康保険に加入できる外国人は、1年以上の在留資格が必要だが、難民申請者のほとんどが不法滞在や90日間の観光ビザで入国 するため、加入条件に満たない。大病を患えば、巨額の医療費は自己負担となる。支援団体が病院側と交渉し、分割払いなどで急場をしのぐしかない。

人道上の配慮から、自治体によっては、1年以上在住し、外国人登録をしている人は、特例的に国民健康保険への加入を認めている。もっとも、「あくまで特例なので、すべての難民申請者を加入させるのではない」(自治体担当者)と強調する。

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